卒業記念写真!小学校の生徒の人文字 京都秋風

紫野小学校20151008

この写真では顔は見えないけれど、実は数百人のかわいい顔が重なっています。1968年昭和43年、京都市立紫野小学校の卒業生を祝って航空写真で撮られた1枚です。1968「明るい子ムラサキノ」の文字は全校生徒が体操着を着て文字のとうりに並んで座っているのです。この中に僕も居ます。この航空写真はとても大切なことを教えてくれています。小学校の校舎も、この小学校近辺の家屋も全て瓦屋根の木造建築であることです。京都の街は戦火を浴びていませんので、寺社仏閣を含め戦前からの古い家屋が今も沢山残っています。お寺は文化遺産のとしてそのままの姿を今に残していますが、古くなった住宅は建て替え等でほとんど50年前の姿は残っていません。

僕たちは、木造の校舎の温かみのなかでお勉強をしました。メンテナンスのために床をモップで油引きするのですが、その油の匂いとかをこの写真を見ると思い出します。左手の縦の細長い建物が体育館です。その上下を囲んでいる細長い建物が木造校舎です。下の校舎の右端に四角い縦長の建物がありますが、そこはまるでお寺のようなエントランス、玄関と職員室、保健室などが入った家屋です。その左手に黒く見えるのがプールです。楽しい思い出の詰まった、西陣に近い古都の小学校の風景です。

この投稿へのコメント “卒業記念写真!小学校の生徒の人文字 京都秋風

  • 小学校の屋根も瓦屋根だったんですね。「記念で航空写真」というモダンさと瓦屋根のしっとりさに、京都の文化の高さを感じてしまいます。
    東京の下町育ちの私の家の回りは、瓦屋根の家と、トタン屋根の家が混在していたと思います。焼け跡の戦後にどんどん家を造ったのですべて瓦にはできなかったんだと思います。戦後の復興時には木造資材も集めるのが大変だったみたい。
    我が家も一部がトタン屋根で、その下は夏になるとすごく暑かった。古い建築のしかたの方がエコなんですよね。

    記憶の片隅に、光がそそぎ都電が走る下町の「昭和通り」の記憶があります。道路の敷石の歩道も広々していた。しかし、東京オリンピック前に、台東区の昭和通りには大きな高速道路が造られ、以来ずっと地上には日の届かない通りとなりました。
    この写真は中央区の方ですが、台東区も同じような感じだったと記憶しています。(中央区フォトギャラリーより)

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